池のほとりに刻まれた時の記憶

村の入り口にある、あの見慣れた舗装道路に車輪が差し掛かると、雑草や低木の枝が今にも窓に届きそうだった。数ヶ月ぶりに帰ってみれば、その道はまるで歳月に半分隠されてしまったかのようだ。枯れた草の葉がコンクリートの隙間を埋め、名もなき若木が道端の斜面から顔を出して、かつて広々としていた道幅を狭く押し込めている。私はハンドルを握り締め、勝手気ままに伸びる植物を慎重に避けながら、数え切れないほどの子供時代の足跡が刻まれたこの場所が、一瞬どこのものか分からなくなるような錯覚に陥った。

家に着いて荷物を下ろすと、視線は自然と裏手へと向いた。長年放置されたあの池は、まるで時間に忘れ去られた翡翠(ひすい)のように、村の端に静かに横たわっている。帰省するたびに私はここで半日ほど釣りをするのが常だが、今回も例外ではない。その夜のうちに、明日の早起きの段取りを考えた。
空が白み始めた頃、私は台所から残り物の白飯を持って池のほとりへ行き、寄せ餌を撒いた。ご飯を団子状にして狙った場所へ正確に投げ入れ、心の中で魚たちが早く集まってくるよう願う。餌を撒き終えると、今度は菜園へ行ってミミズを掘り、すぐに数匹を見つけた。

一時間ほどして、私は竿を手に池のほとりへ向かい、ミミズを針に掛けてそっと仕掛けを投入した。岸辺に静かに立ち、上下に揺れる浮きをじっと見つめていると、脳裏には記憶が制御不能なほど次々と溢れ出し、時間は一気に30年以上前へと引き戻された。同じこの池のほとりで、当時まだ7、8歳だった私は、自分で丹精込めて作った竹竿を手に釣りをしていた。その竹竿は、伯父さんの家の小さな竹林で時間をかけて選び抜いたものだった。針と糸はお小遣いを握りしめ、村に一軒しかない小さな店で買った。餌は、ある時は白飯、ある時はミミズ、またある時は練り餌だった。当時は天気が良ければ、朝から日が暮れるまで釣りをしていたものだ。
そうして、一つ、また一つと休みの日が池のほとりで静かに過ぎていった。高校に入ると私は家から遠く離れ、帰省の回数も次第に減り、長期休暇の時にしか帰れなくなった。帰るたびに、故郷が少しずつ変化し、童心の記憶にある姿ではなくなっていくのを感じる。村の人は減り、誰も住まなくなった家は取り壊されて田畑に姿を変え、農作物が植えられた。目の前の池を眺めながら、私はふと呆然とした。おそらく遠くないうちに、我が家のこの古い屋敷も取り壊されて田畑になってしまうのだろう。そうなれば、もうここに戻ってくることは難しくなるに違いない。

時間はいつもあっという間に過ぎ去り、決して足りることはない。気づけば正午になり、陽射しが熱を帯びてきた。バケツの中の数匹のフナを眺める。多くはないが、十分に釣りを楽しむことはできた。
数日後、私は再び荷物をまとめ、仕事場へと戻る路についた。次に帰ってくるのは春節(旧正月)になるだろう。その時の故郷が、またどんな姿になっているのかは分からない。
寄稿日:2026年1月
この記事を書いた人:
常州鴎琵凱搬運機械有限公司(常州OPK)
製造部
何立玉/He Liyu